自分の中の『友達論』

……自分が思う『友達』って存在は、『とば。』って人間を形作っている一部なんですよね。
だから、誰かが欠けても『とば。』じゃない。『とば。』に成り得ない。
いまこのページをみている貴方。
貴方がもし居なかったら。貴方が欠けていたら、つまり貴方と出会ってなかったなら、いまの『とば。』にはなりません。
貴方という存在があるからこその私なのですよ。貴方とめぐり合えたから、貴方の言葉をきくことができたから、いまの私は私なのです。
自分の中で、どうして友達の順列が付けられないのかな、って問い詰めた結果、
『キミは右目と左腕、どっちが大切かなんていえるのかい?』
つまりはこういうことか。