さくらどけい

他人や物の中に小さな時計が見えると言えば、みんな笑うだろうか。
歯車がむき出しになったアナログ時計で、文字盤には見たことがない文字が、1〜12のかわりに並んでいる。その文字は人それぞれ違っている。秒針は赤褐色。短針は海のような青色。長針は真鍮色をしていた。
人間だけでなく、草や木、犬や猫、机や椅子なんかにも時計は存在した。鼠や虫やパーソナルコンピュータなんかの時計は目まぐるしい早さで回転していて、火花が飛んできそうなほどだった。
僕はその時計に触れることができた。しかし、その歯車を止めたり進めたりする行為は、大変な疲れと引き換えにしなければならなかった。
僕が、僕以外の人間には時計が見えていないことを知ったのは幼稚園へ上がる頃だった。
もの心ついた頃からよく遊んでいた友達に、うっかりこの話をしてしまったのだ。
彼女は僕より五つも年上のお姉さんで、家が隣だった。遊んでいた、というより遊んでもらっていたという方が正しい。僕は彼女に好意を寄せていたらしく、気を引くためには何だって話した。それこそ今朝起きたときの話から、夜寝るときの話まで。あらゆる話を使ってでも彼女の気を引きたかった。彼女に自分だけを見てほしかった。彼女を独り占めしたかった。
そんなある日、僕は時計の話をした。彼女はこの話に興味津々だった。僕は嬉しくなって、時計を弄ることだって出来ると胸を張った。
「へえ、すごいね。やってみてほしいなあ」
あの時の彼女の声は、大きくなった今でもはっきり思い出すことができる。僕はますます嬉しくなって、当時ペットとして飼われていた金魚を連れてきた。金魚は昔懐かしい、ちょうちんを逆さにしたような水槽の中で飼われており、赤と白の綺麗な鱗を持っていた。父親の自慢の金魚だった。
僕は金魚をとりだし、地面に置いた。苦しげに鰓が動いている。時計の回転速度が増していた。その短針をわしづかみにして、思い切り回した。

金魚は死んだ。
先程まで元気に動いていた鰓も、尾鰭も、口も、何もかも動かなくなってしまった。酷い焦燥感が僕の背中を這い上がってくる。彼女は不思議そうな顔をして、僕をじっと見つめている。なんだか大変なことをやってしまったような気がして、僕は口を閉じた。
金魚を水槽に戻しても、もう元気に泳ぎ回ってはくれない。僕はもう、半ば泣きそうになっていた。大変なことをしてしまった。子供心に気のせいなどではないと悟った。照り付ける陽射しと、肌を伝う滝のような汗。裏山の杉林から蝉の鳴く音が聞こえてくる。冷え切ったように僕の身体は言うことを利かなくなっていく。やっとの思いで口に出せた言葉は、ごめん。忘れて。だった。

その夜、父が自分の部屋で静かに泣いている姿を僕は見た。いつも気丈に振る舞う父が見せた、最初で最後の涙だった。罪悪感で胸がいっぱいになり、次の日は熱を出して寝込んでしまうほどだった。あの日以来、父は元気をすっかりなくし、一年後にぽっくり逝ってしまった。心筋梗塞だった。元々心臓が弱かったのだと、葬儀にきた叔母が言っていた。そういえば祖父も心臓に患った病で死んでしまっていたので、きっと僕もそうなるのだろう。漠然と自分の死に際を想像し、せめて最後までには三百円のチョコレートを腹一杯食べてやろうと誓った。
結局、父に本当のことをいうどころか、謝りの言葉すら伝えられていないままだと、後々になって気がついた。


それから十数年の時間が経過した。僕はいつの間にか大学に通っていた。
特にやりたいこともなく、惰性的に毎日を過ごしている。地元から遠く離れた場所に大学はあるため、必然的に家を出た。朝食と夕食が当たるという理由で寮暮しを選んだ。周りの住人との交流はあまり無く、学校でも孤立した存在だった。別にそれでもいいと感じていた。いずれは就職活動の敵となるなら、仲良くしても煩わしいだけだと思った。時計は相変わらず見えていたが、この秘密を共有できるような友人は当然の様に居なかった。
大学生活は退屈なものだった。毎日定時的に講義へ参加して、帰宅して、寝て、また講義を受けに部屋を出る。自分には寮と部屋と大学と、その帰り道しか世界が存在しなかった。これではいけないとコンビニでバイトを始めたが、行き先にコンビニが加わっただけであった。
生きていくためには充分過ぎるほど環境は調っていたが、時折狂ったように何かを欲した。それが何であるかは自分では理解できなかった。その矛盾が僕の端っこの方を削り取っていく。このまま僕は薄れて、消えていくのだと考えた。不思議と不安感は無く、いつも思い出すのは父親の、あの寂しげな背中であった。